現在のお葬式とは

普段は宗教とは無関係でいても、葬儀になれば僧侶を呼んでお経をあげてもらうのが当たり前となっているように、私たちの生活には仏教は切り離せない存在になっています。 では、その仏教における「精進」や「精進落とし」とはどのように意味を持つものなのでしょうか。

仏教における「精進」

葬式の後に遺族が僧侶や親族・参列者にふるまう食事を「精進落とし」といいます。
一般的にはセレモニーホールに専用の部屋があり、そこで葬儀社に予め注文しておいた料理と酒で、僧侶や世話役などの労をねぎらいます。
今は「精進落とし」用のメニューがあり、そこから予算に応じて選べます。

「精進落とし」に参加されるのは僧侶、遺族をはじめ親族や故人と縁の深い人たちで、故人の話をしながら故人を忍んでいくのですが、まだ祖父母が元気だという若い人たちの中には、「精進落とし」に参加したことがないという人は多いのではないでしょうか。
核家族化が進み葬儀に参列する機会も昔に比べて減少していると思います。
前述したとおり「精進落とし」に参加するのは遺族、親族や故人に近しい人間だけになります。

以前より親戚が少なくなった現在、一般参列者として葬儀に参列する機会も少ないのに、親族だけとなると更に少なくなるのではないでしょうか。
一般で参列する場合は、例えば亡くなった故人が、会社の同僚の父母や同じ町内の知り合いの時などは、さほど故人との関係がなくあまり時間がとれないなどの理由で葬式に参列せず、お通夜にのみ参列することも多いと思います。
仕事終わりに慌ただしくネクタイだけを黒に変えて参列し、僧侶の読経とお焼香が終われば挨拶もそこそこに会場を後にする、というサラリーマンも多く見受けられます。

父親や母親の兄弟が多く、おじおばだけでも両手で足りない時代には、子供の頃から両親に連れられよく知らない親戚の葬式に参列するということが多々ありました。
葬儀の後には、酒を飲みながら昔話に花を咲かせる大人たちを尻目に、久しぶりに会ういとこたちと遊ぶのが楽しみだった思い出です。
すべてをセレモニーホールで終わらせる現代と違い自宅で葬儀をしていた時代、町内の同じ班の女性たちが集まり葬儀の参列者の食事すべてを取り仕切ってくれていたのを覚えています。

「精進落とし」の「精進」とは

「精進落とし」は葬式が行われる仏道と関りが深いのはもちろんのことですが、実は神道とも深い関りがあることをご存知でしょうか。 「精進落とし」の目的は忌中の「穢れ」を落とすために行われますが、ここでは神道の「穢れ」について考えてみたいと思います。

本来の「精進落としは」初七日に行われるもの

今では葬式の後に行われることが一般的ですが、本来の「精進落とし」は初七日の法要の後に行われるものでした。 昭和の頃は家族に不幸があった商店などでは、初七日までは忌中の貼り紙をして閉店していることもありましたが、今ではそんな景色を見ることもなくなりました。

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